私の出産体験談

37歳女性 帝王切開の恐怖で震えが止まらない

私が初めて出産したのは33歳の時でした。

元々ビビりで痛みに弱い方だったので妊娠が分かった瞬間は喜びよりも陣痛の痛みに耐えられるのか怖くて泣いてしまいました。

出産が近づくにつれて出産方法を本で調べていたのですが、なんと私は前置胎盤が治らず帝王切開になりそうだと言われました。

その日から帝王切開をネットで調べる日々が続き、手術の為におなかを切る事への恐怖が日に日に増して夜になると怖くて旦那の前で泣いたりしていました。

出産の前日に入院が決まり、あと少しで出産だとドキドキしていた一週間前になんと大出血を起こし、そのまま病院に行く事になりました。

私はあまりの大出血を見て逆に冷静になり診察台でも落ち着いていました。

けれど先生が今すぐお腹を切って出産と言ってきた瞬間から体がこわばり冷静さを失いました。

怖くて震えが止まらないのです。

震えた手で携帯を持ち、旦那に連絡するのですが、声が震えてなかなか今すぐ来てが言えない程でした。

やっとの思いで着替えを済ませ、点滴を打ち、車いすに乗って手術室に運ばれました。

震えは今まで自分で感じた事が無いほどの大きな震えでまさにまな板の鯉という感じでした。

自分が跳ね上がっていると思える程で止められないものでした。

背中に麻酔を打つ時も震えが止まらないので助産師さんに押さえられ、麻酔が効いた頃やっと下半身の震えが止まりました。

上半身の震えは引き続き続いていて点滴がある手は動かさないでと言われ、とにかく歯を食いしばりお腹を切る恐怖と震えが止まらない焦りで出産どころではありませんでした。

子供はおなかを切ってすぐに無事元気に産まれてくれました。

顔を見た瞬間無事で良かったと思ったのですが、それ以上に震えがずっと続いていて子供どころではありませんでした。

もっと想像では子供が産まれた瞬間涙が自然と出て喜びにあふれる感じを想像していたのですが、震えに気をとられていて私の場合はそれどころでは全くありませんでした。

しかも子宮筋腫があると言われ、そのまま取り除く手術をする事になり震えているのに動けない時間がより続くことになりました。

しかもどんどん下半身の感覚が蘇っている事に気づいて助産師さんに麻酔が切れそうだと訴えると、もう縫っているからあと少しで終わりと言われました。

私の感覚では終わりと言われた瞬間より少し前に麻酔が切れていたと思います。

ベットを移動される前に助産師さんに痛み止めをくださいと言ったのを覚えています。

結局痛み止めも効果がなく、震えの後遺症で全身筋肉痛でがちがちの体になりすべての痛みを残したまま育児突入になってしまいました。

私は震えすぎて出産の喜びが薄かったのが今でも心残りです。

56歳女超短時間の初産で皆が驚きました

56歳 女 専業主婦です。

 20代の独身の娘が二人います。

夫と合わせて4人家族です。

初めて出産を経験したのは、29年前の春です。

月ごとの検診は、婚家に近い産婦人科で受けていましたが、里帰り出産を予定していたため、30kmほど離れた実家に近い中規模の産科病院に紹介状を書いてもらいました。

互いの院長先生は顔見知りで親しいようでしたので、わざわざ電話連絡まで取ってくださり、安心でした。

予定日を2日過ぎたころ、夜中の2時に下腹部に痛みが走ります。

生理痛にも似た症状です。

お腹が冷えたのかなと思いトイレに駆け込んでみますが、1時間も経つとまた痛みがまた襲います。

窓に日が差して明るくなってきました。

時計をみると午前8時になろうかというときです。

骨盤がもうれつに痛くなってきました。

下腹痛は感じなくなり、腰骨の後ろが痛くなってきました。

思わず、四つん這いになって、うめいてしまいます。

実母は自身が初産の時は陣痛が始まって丸1日以上経たないと、分娩できなかった経験をふまえ、まだまだと暢気に構え、今からろうかの雑巾がけをしなさいと、私に言う始末でした。

体を動かした方が安産になるということです。

10分おきに来る陣痛をこらえながら、雑巾を持っていろいろなところを掃除します。

大きなお腹で掃除機までかけます。

だんだん、陣痛の間隔が短くなり、午後4時ころには5分間隔になってきました。

母の顔色が変わってきました。

あわてて父を仕事先から帰宅させ、病院に向かいます。

車の中でも陣痛は襲います。

検診台にやっとの思いであがります。

子宮口は3cmほど開いているとのことです。

まだ、分娩は先になるということで、別室に移されました。

他に一人妊婦さんがやはり、陣痛で苦しんでいます。

かなり、辛い光景です。

私の陣痛はさらに、短くなり3分間隔2分間隔で襲ってくるようになりました。

ナースコールを押すと看護師さんが、「初産なんだから、そんなに早く分娩開始にならないと思うよ」と言いながら嫌々な様子で、ゆっくりと部屋に入ってきました。

それでも、先生を呼んでくれ、診てもらうと、分娩室に速攻で通され、胎児の心拍数を図る機器にスイッチが入れられ、なぜか口元にはマスクがかけられました。

笑気麻酔です。

気が遠くなっていきますが、痛みは感じます。

何度も「いきんで、いきんで!」の声も聞こえてきます。

しばらくして、子供の泣き声が聞こえてきました。

初産にして1時間半という超短時間の分娩だったようです。

皆、驚いていました。

35歳・女性・銀世界からの新しい人生のスタート

子供を出産した日は記録的な大雪でした。

私の地方ではめったに雪が降らないんです。

午後から雪が降りだして、翌日には20cmを超えました。

これは、実に58年ぶりの大雪でした。

午前中から少しずつ陣痛が強くなり、雪がどんどん降る中、産院になんとか到着。

診察の結果は、まだまだ、これから。

今日は産まれないので帰っていいですよと言われました。

でも、雪がどんどん降ってくるので、翌日、来れるかわからない。

そのまま、産院にいさせてもらうことにしました。

それから、どんどんと陣痛が強くなって数時間後には破水。

夜には無事産まれました。

帰らなくて良かったんです。

雪のおかげですね。

小さな産院で、いつもは同じ日に重なることが少なく、部屋もあっさりと個室が予約できていました。

でも、この大雪の日、私みたいなパターンが他にもたくさんいたんです。

なんと8人連続で産まれました。

雪も記録でしたが、その産院でも記録となりました。

夫が付き添いで病室に泊まる予定でしたが、陣痛室で泊まることに。

次の人はキッズルームに寝かされていました。

とにかく、産院が大騒ぎ。

医師や助産師さん達もすごく疲れていました。

陣痛室で泊まるのは、ベッドが狭くて窓からの冷気は寒く、辛かったですね。

授乳室もいつも満員。

何もかも足りなくて、順番待ちのような感じでした。

結局、予約していた病室に泊まれたのは、最後の一日だけでした。

とても広くて快適でした。

その分、とても安くしてもらえましたが、やっぱり残念でした。

ただ、良いこともあって、この時の8人中5人がママ友となり、その後も定期的に集まっていました。

同じ日に誕生日で1歳の誕生会も一緒にしました。

一緒に成長を楽しみ、相談しあえる仲間ができて心強かったです。

そして、翌日目覚めた時の、朝の景色が忘れられません。

病室から見た景色が真っ白の銀世界。

とても、キラキラとしていました。

これから新しいスタートをきるには、ピッタリだと思いました。

子供の誕生日が来ると、大雪の日に産まれたんだよ、といつも話しています。

雪が積もった日には、出産の時の気持ちを思い出します。

子育て、いろいろと大変なことは多いけど、初心に戻り、あの時の幸せを思い出すと頑張れました。

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