私の出産体験談

61歳女 出産よりも出産でできた血腫が痛かった

私は61歳女性で、30歳と35歳の時に出産を経験しています。

私は一人目の出産の際には何事もなく出産することができたのですが、二人目の出産の際にとんでもない経験をしました。

二人目を身ごもって臨月の時に、まず血圧がとても高くなっていました。

上の血圧が160ぐらいになっていて、普段は110前後の私にとっては以上でした。

また、定期健診でタンパク尿が出ていて、妊娠中毒症と言われていました。

それだけでとても不安に思っていたのですが、それ以上に大変なことが出産の時に起こってしまったのです。

出産自体は案外すんなりと時間がかからずに終わりました。

ただ、出産後に下腹部がものすごく痛みが出たのです。

出産なのでこんなこともあるのかなという感じに思っていたのですが、4時間ほど経過しても痛みが治まらず、むしろ悪化していったので我慢の限界に達して、看護師さんにそのことを伝えました。

そこで痛み止めの飲み薬をもらって様子をみたのですが、長くても1時間もすれば効果が出てくると言われたにもかかわらず、1時間半経過しても効果が全くないのでもう一度看護師さんに相談しました。

すると、先生を呼んできますと言われて、先生が診察して下さりました。

すると、出産の際に子宮の中に傷が入ったのか血腫が出来ていると言われました。

そこで緊急で手術をすることになりました。

手術後はなんとか痛みは和らいで、やはりその血腫が痛みの原因だったのだなと確信しました。

先生にはよくこの痛みに我慢できたね、と言われましたが、決して我慢できるレベルだったわけではなく、とんでもなく痛くて看護師さんに声をかけたのに、と言いたいところでしたが、そんな元気すらありませんでした。

結局、出産の時の痛みよりもその血腫の痛みの方が痛くて印象に残っています。

今のところ人生で最も痛かったのはその血腫の痛みだと思います。

出産なんて人生でそう何度もするわけではないので痛みがあってもこんなものかと我慢してしまいがちですが、私のようなこともあるので、痛みがある場合には早めに看護師さんや先生に相談した方がいいと思います。

36歳男 第1子出産に立ち会って感じたこと

石川県在住の36歳男性、既婚です。

医療関係の仕事をしています。

私は昨年末に第1子の男の子が生まれました。

私達は共に30代半ばということもあり、なかなか子宝に恵まれず、2回目の体外受精で授かった赤ちゃんでした。

特出すべきエピソードとしては、出産2カ月前に奥さんが切迫早産になる可能性があるとして入院したことです。

お腹が痛いとかかりつけ医の産婦人科に行ったら、診断の結果、切迫早産の可能性があるとのこと。

絶対安静の生活を安定期を迎えるまでする必要があり、奥さんの一日中点滴を受ける生活が始まりました。

クロスワードパズルや小説を持ち込んで、退屈をしのぐ日々。

私は洗濯物の取り替えなどで毎日行きました。

また、産婦人科の院内食は夕飯にたくさんごはんが出ることから、私も協力してごはんを食べました。

それから安定期に差し掛かり無事に退院しました。

退屈した直後に食べたい物はある?と聞くと焼肉が食べたいとのことでしたので、その週の週末ランチで焼肉へ行きました。

その後、数日経ち陣痛が始まり、出産に向けて準備が始まりました。

予定日より2週間近く早まり私も焦りました。

当初奥さんのお母さんと私が分娩室に入る予定でしたが、風邪をひいていたお母さんは分娩室には入れず、私だけ立会人となりました。

陣痛で苦しむ奥さんのそばで、横にはいるもののうちわで扇ぐことしかできず、自分の無力さを痛感しました。

陣痛に苦しむ奥さんは「帝王切開して下さい」と助産師さんに懇願していました。

昨年生まれたお姉さんが陣痛が始まって24時間後に帝王切開をしたということで、自分も帝王切開することになる。

だから、一刻も早く切開して下さいというのです。

助産師さんは母子共に元気だから、ここで帝王切開はもったいないと拒みました。

分娩室に運ばれてから約6時間後、室内に動きがあり、健康体の赤ちゃんが生まれました。

タオルケットがかけられた奥さんの股から赤ちゃんが顔を覗かせた瞬間は今でも鮮明に覚えています。

元気な産声を聞かせてくれて、胸を撫で下ろしました。

これから出産を迎える方にお伝えしたいのは、どの選択肢を選ぶ際も赤ちゃんファーストで考えて下さいということです。

我が家も切迫早産で入院することになった時も資金はどうする?と入院をためらった時もありました。

ただ調べれば、地方自治体の助成金で資金は返ってくることがあることがわかったので安易な考えで選択してほしくないと思います。

赤ちゃんが一生生きていくことを考えて、最善を尽くして頂きたいです。

長々と文章を読んで頂きありがとうございました。

30歳女 大きなトングで激痛の中出産

私は現在30歳、1児をもつ主婦です。

出産したのは私が25歳の時でした。

ちょうど予定日に検診がありました。

「そろそろかな、この検診からこのまま入院になるかな」
とワクワクしながら病院へ向かいました。

しかし、医師から
「子宮口はまだ全く開いていないですねぇ。

会えるのはもうちょっと先かなぁ」
と言われ、ガッカリ・・・。

さらに、
「次、また3日後に検診に来て下さい。

もし、それまでに生まれなければ、
陣痛促進剤を使うかもしれません。

羊水もだいぶ少なくなってきているので・・・」
という言葉を聞いて、不安になりました。

本やネット、知人から「促進剤は辛い」と見たり聞いたりしていたからです。

私の不安が赤ちゃんに伝わったのか、その日の夜中に陣痛が始まり、
朝8時頃、病院へ。

NSTで赤ちゃんの様子を確認すると、「赤ちゃんが危ない」とのこと。

「緊急帝王切開になる可能性も高いので、ご家族に連絡して下さい」と
緊迫した表情で医師から説明を受けた時は、怖くて泣きそうになりました。

そして、そのまま入院することに。

NSTの機械をつけ、心拍を小まめに確認しながら、陣痛室で過ごしました。

不安な気持ちで数時間が過ぎた頃、様子を見に来た医師に、
「赤ちゃん頑張ってるね。

自然分娩でいけそうだよ」と言われました。

やはりお腹を切るのは怖かったので、とてもホッとしました。

と、同時に、
「赤ちゃんがこんなに頑張っているんだから、私も頑張らなくちゃ」と気合いが入りました。

それから陣痛は容赦なく強くなっていきます。

まだいきんじゃいけない時に、痛みが来て、いきみを逃すのが本当に辛かったです。

夫や助産師さんに腰をさすってもらいながら一回、一回の陣痛を何とか乗り切りました。

「あと、どれぐらいですかー!?」と辛すぎて助産師さんに思わず聞きましたが、
返事は「まだまだ始まったばかりだよ。これから、これから!」と言われ、気が遠くなりました。

そして、時間は確実に過ぎ、痛みも強くなりました。

ただ、陣痛の間隔が全然変わりません。

大きな陣痛の波が来るわりに、次の陣痛までの時間が長いので、
いきんでもいきんでもなかなか進みません・・・。

「赤ちゃんもお母さんも辛そうだから、分娩室行こうか」という医師の指示で、移動。

分娩台でも頑張っていきむものの、陣痛の間隔は縮まらず・・・。

「ちょっと手伝うよー」と言って医師がバリバリとビニールの袋から取り出したのは、何やら金属の大きな器具・・・。

サラダ用トングの大きいバージョンのようなものでした。

「え、もしかして、それを使うの・・・」と思ったその時、
そのトングで中の赤ちゃんを引っ張り出したのです。

「痛ーい!!!!」
思わず声に出してしまうほど。

2~3回トングで引っ張られ、「次で赤ちゃん出てくるよー!」という医師の声で
思いっ切りいきむと、「ずるん!」。

しわしわの赤ちゃんが顔を出しました。

会えて嬉しいのと、陣痛が終わってホッとしたのとで、涙がボロボロ・・・。

・・・という感動の時間もつかの間。

トングのような器具で、避けてしまった所を縫う処置が、これまたものすごく痛いのです。

「痛い、痛い!」うなりながら、終わるのを何とか耐えました。

後で知ったのですが、このトングを使ったお産を「鉗子分娩」というらしいです。

このトングのせいで、産道の中の方も切れてしまい、
翌日~1ヶ月以上、円座なしでは座れないくらい痛かったです。

入院中は、手すりを持って這いつくばらなくては移動できないほど。

それでも、我が子は可愛いもので、一日何度も痛みと闘いながら、顔を見に行きました。

あのトングのような器具が出てきた時は衝撃的でしたが、
あれが無ければきっと母子ともに危なかったのだと思います。

あの時、私と子供の様子を見て判断し、適切な処置をして下さった医師には感謝しています。

とにかく痛かったけれど、今では良い思い出です。

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