41歳女 長引く陣痛で分娩中眠りそうに
40代の主婦です。
子供は2人います。
初めて妊娠がわかった時はすごく嬉しかったです。
でもすぐにつわりが始まりました。
想像以上に辛くて、一日に何度も吐き、たくさん病院で点滴をしてもらいました。
実母に来てもらい家事を助けてもらいました。
体重がすごく減りましたが、安定期に入るとつわりが嘘のようになくなり、快適な妊娠生活を送りました。
出産予定日まで元気に過ごしていましたが、出産予定日を一日過ぎた日に陣痛が始まり、すごく怖くなりました。
お腹がギューっと痛くなった時に、とうとう生まれるんだという嬉しさと出産の怖さで複雑な気持ちになりましたね。
陣痛が始まりすぐに生まれるだろうと軽く考えていたら、全然生まれないんです。
ただお腹が痛くなるだけで、助産師から「子宮口が開いていないから、まだ我慢してね」と言われ続け、いつまで我慢すればよいんだと泣きましたね。
お腹を切ってほしいと思うぐらい辛かったです。
夜中も陣痛の痛みで眠れず、実母と旦那が腰を何度もさすってくれました。
子宮口が開き分娩室へ行った時には、もう痛みと寝不足でクタクタになっていて、何が何だかわからない状態になっていました。
「いきんで」とお医者さんや助産師に言われてもなかなかいきめず、眠りそうになり実母から何度か頬を叩かれました。
あの時は眠りそうだと思ったのですが、意識を失いそうになっていたんだと思います。
実母が何度も強く頬を叩いたことがすごく印象的でした。
痛くて「やめて」って言うと、母が「もうすぐ赤ちゃんに会えるんだから!お母さんになるんだから頑張って」と泣きながら言ったんです。
それで頑張ろうって思えました。
けっきょく、二日間陣痛に苦しみやっと出産しました。
生まれた子はすごく大きくて元気な女の子です。
元気な泣き声を聞いた時に、本当にホっとしました。
我が子を胸に抱いた時は眠気なんて吹き飛びましたね。
あの時意識を失いかけて、実母に叩かれて良かったです。
忘れられません。
29歳女 出産の痛みになめてかかる
29歳専業主婦3歳男児の子育て中です。
一人での出産が不安だったので私は夫も分娩室に入る立ち会い出産をしました。
義実家に里帰りし出産予定日から3日経っておしるしがあり陣痛が始まりました。
出産経験のない私は「このくらいの陣痛なら全然いける!」と思いましたが、これはまだまだ序章にすぎなかったのです…。
この軽い陣痛が始まってから病院に行ったものの、子宮口がまだ少ししか開いておらずすぐ帰宅しました。
帰宅してからは破水もしていなかったので、お風呂に入ったり出産のときの体力のためにご飯を食べたり、「会陰切開こわいな~」とか思いながらゆったりとすごしていました。
そうしている間に段々と痛みも強くなり陣痛の間隔も早くなってきました。
ここまで陣痛が進むと結構な痛みで歩くのも一苦労…。
病院にじんつうにの間隔を伝えると「すぐに病院へ来てください」とのことだったので急いで向かいました。
到着するとベッドに横になり子宮口の開き具合を診てもらったのですがまだ半分…内心「こんなに痛いのに嘘だろ…」と思いながらもただひたすら痛みに耐えていました。
ベッドで子宮口が開くのを待っていたのですが、尋常じゃない痛みで夫と義母が近くに居たにもかかわらず大絶叫。
お産は恥じらいとかが無くなるというか考える余裕が無くなります。
ベッドで陣痛のたび大絶叫しながら子宮口開くのを待つ時間はとてつもなく果てしなく地獄でした。
始めの陣痛は初期の初期の初期と思いやられました。
やっと子宮口が全開になり分娩台に上がることができましたが、ここからがまた長い戦いだったのです。
立ち会ってくれた夫は万全の準備で挑んでくれて、タオルに団扇、ストロー付きの飲み物とゼリー飲料を持ち込んでくれていました。
分娩台に上がるとさっきまでは大絶叫だったのがうってかわって急に冷静になり、早く出てきてほしい一心で助産師さんの支持を聞き必死でいきみました。
私がいきむのが終わると、白目むきながらぐったりしている私の汗を拭いてくれたり、口にストローを入れてくれたりとたくさんサポートしてくれました。
それは今でも感謝しています。
そんなこんなで分娩台に上がってから6時間が経ち私が諦めそうになったとき、お腹の赤ちゃんがやっと本気を出し始めてドンドン降りてきてあれよあれよとズルンと出てきたのです。
なかなか出てこなかった理由が出てきてからわかったのですが、へその緒がストールのように首に掛かっていました。
一時は赤ちゃんの心拍が低下したりしたのですが元気に生まれてくれて本当に良かったです。
この出産でもちろん会陰切開もしたのですが、お産が壮絶すぎて会陰切開はなんてことなかったです。
その後の抜糸が結構恐怖なので溶ける糸を使ってくれるところがいいと思います。
34歳女 出産による恥骨へのダメージ
30歳の時、不妊治療の末、待望の第一子を妊娠しました。
ちょうどその頃周りもベビーラッシュであり、家族が増える事にワクワクしていました。
妊婦である期間はそれほどトラブルもなく、順調に妊婦検診もすすみました。
もちろん、妊婦のマイナートラブルである、便秘や腰痛、つわりや、耳が聞こえづらいなどの事は多々ありましたが。
そして、予定日付近になり、破水してることがわかり、陣痛促進剤などを使ったりして、第一子を無事に出産しました。
ところが問題はここからです。
出産後すぐは分娩台に横になり、そこから部屋に戻るのですが、私は股関節がどうかなったのか分娩台からもやっとの事で降り、足を引きずるようにして、看護師さんに支えられて部屋に戻りました。
しかし、自分でもどこが痛いのかもはっきりとわからず、先生もこれといって何が原因なのかもわからずでした。
一晩休めば大丈夫になるのかもしれないと思い、寝返りさえも冷や汗をかきながらおこない、待望の赤ちゃんへの授乳も必死の思いで体制を整えて行う始末でした。
入院中は主人に申し訳ない気持ちで赤ちゃんよりも私の介護をしてもらうレベルでした。
もう、せっかくの赤ちゃんに会えた喜びよりも私このまま歩けなければどうしようとゆう不安に押しつぶされそうでした。
結局、原因は赤ちゃんを産む時に力が入ったのか、はたまた赤ちゃんの頭が私の身体に対して大きかったのか、恥骨部分にヒビが入ってるとゆうことでした。
これは、もう日にち薬しかないということで、そこから、半年くらいは痛みと常に隣り合わせの生活でした。
もし、同じような方がいるならば、途方にくれなくても、いつかは普通に歩けるようになると希望を持ってもらいたいです。
そしてそれから2年後第二子を出産しましたが、恥骨部分にヒビは入ることなく、無事に出産致しました。
1人目がそうなったからといって2人目もそうなるとは限らないのです。
とても安産で、すんなりと出てきてくれました。
出産後のケアは周りに負担をかけてしまうとゆうこともありますが、この事あったからこそ、家族で支えあい、絆がより深まったとおもいます。