39歳、女性、出産中に別の病院に搬送を経験
結婚から3年、29歳の時にやっと子供を授かり出産をすることになりました。
これまで、妊娠しても流産したり、安定期に入っても私の血液型の問題で里帰り出産が出来ない可能性があるなど、初めての出産は順調な妊婦生活とは言えないものでした。
飛行機で移動できるぎりぎりの時期になんとか里帰りをすることができ、落ち着いて陣痛を待つ日々を過ごしていました。
ある日、ついに陣痛がきて入院。
やっとあかちゃんに合えるんだととてもわくわくしていましたが、陣痛がつらいわりにあまり子宮口の開きが良くなく促進剤を打つことになりました。
だんだん陣痛がひどくなるのですが、やはり開きはあまりよくありません。
そして、なんともタイミングが悪いことにその日の担当の先生がお休みで臨時の先生が来ていたのです。
会話をした雰囲気や施術の対応があまりよくなく、そっけない感じで本当に大丈夫なのかと不安になりました。
そして分娩台にのっていよいよ出産となると恐ろしいほどの陣痛が定期的やってきて悶絶でした。
分娩台に上がってからこの状態が数時間続きさせられましたが、頭が見える気配が全くないので強制的に破水させられました。
これで陣痛の地獄から解放されると期待したのですが、状況は変わらず全く変わらず。
さらに時間が過ぎてきたため、今度は子供ほうが危なくなってきていると周りが焦りだしました。
「このままだと赤ちゃんの方が心配です」という助産師さんが先生に話しかける声が聞こえた時、意識が薄れそうな中でしたが「帝王切開に切り替えてください」と自分からお願いしたのを覚えています。
ですが、私がお世話になっていたクリニックでは帝王切開の設備がなく、仕方なく救急車で大きな病院に搬送されることになったのです。
まさかこんな状態で人生初の救急車に乗るとは思わず少し恥ずかしさもありましたが、今は赤ちゃんの無事を祈るだけでした。
大きな病院についてから、すぐに担当の先生か話かけてくれました。
とても明るく元気に声をかけてくれたのでとても気持ちが前向きになったのを覚えています。
診察後、先生から出てきた言葉に耳を疑いました。
「帝王切開してくてもあと1時間であかちゃんを出してあげるからね」先生や病院で、こうも違うものかと本当に驚きました。
その後、本当に1時間で生まれてきました。
どうやって生まれたかというと、吸引と押し出しです。
頭が少し伸びて出来ましたが、赤ちゃんは本当に元気で問題もありませんでした。
生まれてきてから分かりましたが、へその緒が巻き付き出るに出てこられない状態だったそうです。
とにかく、無事に生まれてきてくれたことと、お手伝いしてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
1人目の出産でここまでの経験をしたので、2人目では陣痛を和らげる呼吸法や体操をきちんと行い、病院から準備に至るまで本当にスムーズでした。
なにより、1人目では20時間かかった出産時間が2人目では1時間半。
1人目の時から妊婦教室で習っていた事をもっと実践していれば、1人目でこんなに苦労する事もなかったのかなと思います。
これから出産を迎える人には、後で後悔しないよう、できる限りのことや準備をしておいて欲しいと思います。
57才 女性 出産前の画像診断と出産後に我が子と対面した時
私は新生児を知りませんでした。
赤ん坊がどういう具合に生きているのか、どう自己主張するのか、どうおっぱいを飲むのか、その他ほとんど知りませんでした。
妊娠中の画像診断では異常は認められませんでしたが、渡された画像では、私にはよくわからない白いものが見えるだけでした。
まだ画像技術が発達していない頃ですので、今なら違うかもしれません。
とにかく私は、赤ちゃんといわれても、ぽかんとしているばかりでした。
月が満ちるうちに子供は大きくなり、画像に人間(のようなもの)が写るようになりました。
それにしても、お医者様が「ほら、ここが頭。
ここが足。
お腹が見えるでしょう?」と言われた時、頭らしいものはそれらしく見えましたが、足やお腹や手やなどわからなかったのです。
わが子の形がわからないなんて、私は母親失格かも…と誰にも言えずにいました。
臨月頃の写真には、赤ちゃんの顔が写っていました。
お医者様は、「ほら、はっきり写ってますよ。
ここが鼻でしょう。
目がこれですよ。
ねっ」と、にこにこされています。
なんと、私には歪んだ人の顔が見えました。
額が前方にとんがって張り出し、目がぎょろりとした、斜め横の顔でした。
これが夫と私の子?あり得ないだろう。
夫に画像を見せた時、夫の反応は覚えていません。
こんな宇宙人か縄文人みたいな子が生まれたらどうしよう。
私は心底、戦々恐々としました。
いよいよ出産の時、体が裂けるかという程の痛みを経て対面したわが子は、人間の子でした!いとけなく、くったりと私に身を任せる赤ちゃん。
宇宙人でなくて良かったと、私は本当に安堵しました。
それからの赤ん坊の、なんと可愛いことでしょう。
毎日毎日可愛くてしかたありませんでした。
ちなみに成人した今でも、寝顔が可愛いです。
あるお母さんの妊娠時の思い出を、聞いたことがあります。
妊娠がわかって病院を受診した時のことです。
画像診断の写真を見せられて、まだ受精卵の赤ちゃんが愛しくて嬉しくて、涙が出てきたそうです。
「この時期にこれだったら、生まれたら私はどんな状態なんだ?」と思ったそうです。
その話を聞いたとき、そういうものなんだと正直落ち込みました。
でも子供が生まれてからの私は、子供を可愛いがっているのだから、それでいいと自分を納得させました。
私と同じように、わが子を可愛いと思えない母親がいるかもしれません。
そういう人には、そうなる理由があったりします。
バランスの取れた母親というのが、私の理想の母親です。
難しい状況もあるでしょうが、周囲のサポートがあれば、母親らしくなれるのではないかと思います。
20代のときの初めての出産後、救急搬送される
私は、現在40代の主婦です。
私の初めての出産は、20代後半のときでしたが、今でも辛くて思い出したくもないくらいの記憶になります。
初めての妊娠で、本当ならうれしくて喜びに満ちているのが普通なのかもしれませんが、私の場合、子供が苦手だったり、産むのが怖くて怖くて、妊娠したとわかったときから憂鬱な気持ちでした。
妊娠中は、体重の増加のしすぎで、お医者さまから注意を受けましたが、特別に問題なく母子ともに健康に過ごすことができました。
臨月が過ぎ、いよいよ予定日の一週間前になったある朝の日、お腹に違和感を感じました。
なんだかチクチクしたような痛みでした。
それは陣痛の始まりでした。
出産するかと思うと不安で仕方ありませんでした。
その後、陣痛の間隔が短くなり病院に連絡して車で向かうことになりました。
破水し、出産室に入ってから、およそ2時間後に、男の子を出産しました。
やはり出産の痛みは耐え難いものでした。
赤ちゃんも健康でほっとしました。
やっと妊娠生活から開放されたかと思うとうれしかったですが、これからの育児を思うとまた憂鬱な気持ちでした。
夜中に出産し、よく朝には母子同室で、育児が始まりました。
しかし、出産直後から、私は体調を崩してしまいました。
初めての出産でしたので、そういったものなのかと思って我慢していました。
発熱しており、氷枕を用意してもらい、横になってはいましたが、新生児がいては休んではいられません。
時々、看護師さんなどが、様子を見にきてお世話をしてくれましたが、授乳やおしりのお世話などやることはたくさんあり、更に体調の悪化を感じました。
体調不良のまま、産婦人科を退院しましたが、自宅に帰ったとたん、高熱で倒れて救急車で、大きな病院に搬送されました。
急性腎盂炎でした。
赤ちゃんは、元々入院していた産婦人科で面倒を見てもらえることになり、助かりました。
高熱で辛すぎて、意識を失いました。
退院後も、服薬しているので授乳もできませんでした。
赤ちゃんのお世話も体が辛くて誰かに助けてほしかったです。
産後そのようなことがあり、産後の肥立ちが悪く、ずっと体調不良の日々が続きました。
昔の人の言った、産後1ヶ月は無理してはいけない、というようなことは、本当にその通りだなと実感しました。
出産する女性は、育児は大変ですが、周りの協力を得て、体を労って大事にしてほしいものです。