47歳女 産休に入った翌日に出産
47歳の主婦です。
長女を出産したときのエピソードをお話したいと思います。
長女出産当時、私は29歳で中学校の教員をしていました。
教員の仕事は身体を張る仕事も多く、妊婦になってからの仕事はかなり大変だったのですが、周囲にサポートしてもらいながら産休に入るところまで仕事を続けられました。
ただ産休の時期を仕事の引継ぎの関係で、通常より1週間遅くから入らなければなりませんでした。
なんとかプラス1週間を終えて、職場の方や生徒たちにも「元気な赤ちゃんを産んできます!」とあいさつして送り出してもらい、その日は帰りに主人に職場まで車で迎えに来てもらいました。
産休に入ったことで、少しほっとしその日の夕食はそのまま外食して行こうということになり、駅ビルのレストランに入りました。
そのとき、なぜか無性にカレーが食べたくなってしまい、しかもつぼ焼きカレーというわりとスパイシーなカレーを食べました。
とてもおいしくいただいたのですが、帰るときに脚の付け根がいつもと違う違和感を覚えました。
「ん?」となんとなく不安を覚えたので、その後すぐ車で安静にして帰りました。
寝るときも多少違和感はあったのですが、明日から休みなのでゆっくり横になることにしました。
ところが明け方になったら、なんだか様子がおかしい。
破水していたのです。
これはマズイと思い病院に連絡したらすぐ来るように、とのこと。
慌てて病院に行き、逆子だったということもあり、即帝王切開で手術。
予定日より1か月半早く長女が生まれました。
幸いなことに長女は、しばらく保育器に入って入院しましたが、五体満足で元気に生まれてきてくれました。
まさか、産休に入った翌日に生まれると思わなかったので、自分も周りもびっくり。
職場へは主人に連絡してもらったのですが、「え?もう?」と驚かれたそうです。
後悔していることは、出産や産後に必要なものも、産休に入ってから準備しようと思っていたので、何も準備できていなくて、マタニティ用のパジャマやショーツ、ナプキンなど男性が買いにくいものも主人に買ってきてもらはなくてはならず、もっと早くから準備しておけばよかったなと思っています。
カレーが原因だったかどうかはわかりませんが、我が家では長女の出産のことを「スパイシー出産」と呼んでいます。
是非これから出産される方には出産の準備は早めに。
スパイシー料理は控え目にとお伝えしたいです。
41歳、女、スパルタ病院での出産
朝方破水し、即入院しました。
夕食を食べた後くらいからだんだん陣痛が始まって、陣痛アプリで間隔を計っていました。
陣痛アプリとは陣痛が始まった時や治った時を記録して、間隔が短くなったら病院へ行く目安にするためのアプリです。
だんだん痛みの間隔が狭まってきて、目安とされる5分になってきたのでナースコールして診察室へ移動。
この時すでに激痛で、ストレッチャーで運んでくれるものと思っていたのにまさかの「じゃあ歩いて来てください」。
え、嘘、こんなに痛いのに?息をするのもやっとなのに?
夫に支えられて、痛みが来たらその場に立ち止まって、すぐ近くの診察室までの移動にとても時間がかかりました。
やっと診察室にたどり着いて「あぁ、いよいよだ!」と思ったのもつかの間、「まだですね。
全然開いていないのでまだまだです。
いったん部屋に戻ってください。
え、嘘。
めっちゃ痛いのに?って言うかここまでやっとのことで歩いてきたのに?また戻れと?
絶望と痛みでクラクラしました。
痛みに耐えながらまた病室へ戻ってベッドに横になったものの、もう痛くて痛くてじっとしていられませんでした。
なんとか陣痛アプリに記録は続けましたが、やはり5分間隔、時には3分ほどのこともありました。
まだまだ我慢すべきか、いやでもありえないくらい痛いし、これ以上痛くなったらもう自力で歩けない、いやでもせっかく行ってまた帰されたら嫌だし……
と、脂汗を流しながら悩みました。
体感的には数時間に感じましたが後から考えると多分2~30分ほどだと思います。
悩みに悩んだ末、再びナースコールを押し、再び診察室へ。
はい、また帰されました。
なんとこれを6回繰り返しました。
7度目に診察してもらった時にやっと分娩室へ移動になりました。
またもや「歩いていきましょう」
え、嘘。
分娩室に?歩いて?
嘘ではありませんでした。
とんでもないスパルタ病院を選んでしまったと後悔しました。
が、後から聞くとどうもその日はお産が重なっていて分娩室の余裕が無かったようです。
なのでどうやら確実になるまではねられていたようです。
今となっては真実は分かりませんが。
辛い辛い出産でした。
34歳 女 過去の出産で両親の献身的なサポートに感謝
私の出産の体験談としまして、私は、帝王切開をすることもなく、長男、二男ともに無事に生まれてくるような形で、良かったのですが、やはり、つわりが大変酷い形でありましたので、長男を身籠った時につきましては、とにかく酸っぱいもので気を紛らわせるような状態でありました。
やはりどの妊婦の方もそうであると思うのですが、つわりが酷い方が大勢いらっしゃると思います。
そのような中で、私の妊娠時におけるつわりの特徴としましては、とにかく周期的に襲ってくると言う形でありました。
周期的に襲ってくるような形で、その時に強烈なつわりを伴いますので、その際に、気を紛らわせるために、酸っぱい梅昆布のものや、飴を舐めることを日課としておりました。
急にそのつわりのサイクルに襲われても良いように、飴を舐めることを意識していたと思います。
またそれ以外で出産で印象に残ったエピソードとしましては、やはり、家族の協力であったと思います。
主人は、毎日残業で来ることもできない形であったのですが、私の母と父が一週間に一度は、妊娠後期になりますと、泊まり込みで家に来てくれるような形で、妊娠後期と言う一番辛い状況におきましても献身的にサポートしてくれる形で父親と母親のお陰で出産まで体制を万全にして望むことができたと思いました。
これにつきましては、今思いましても父親と母親のお陰であると感謝しております。
また、臨月にさしかかりました時は、自分で判断して病院に電話して来て頂いたのですが、その時もメールだけで両親が飛んで駆けつけてくれる形となりまして、両親の献身的なサポート体制があったからこそ無事に出産できる形になったと思いました。
もし出産におきまして、両親の献身的なサポートが無ければどのようになっていたか分からないと言う感じで、やはり親族は絶大的に信頼できるものであると実感した瞬間でもありました。
年子である二男におきましても、すぐに出産できる形になりましたのも両親が積極的に来てくれたお陰であると痛感しております。